史蹟火雨塚古墳

 説 明

 県指定(史蹟) 1972(昭和47)4月13日

 火雨塚古墳(ひさめづかこふん)

 火雨塚古墳は白浜町瀬戸の熊野三所神社の境内にあり、御船山東側山麓の平坦地に築造された直径8m・高さ2mの円墳です。

江戸時代にすでに盗掘にあい、封土もかなり流出しているものと推定されます。

 入口は東南に開口し、羨道と玄室からなる横穴式石室で築造方法は板状岩石を積み上げ、天井には二枚の板石を置いています。また、石室内には長さ120cm・幅 42cm・高さ39cmの組み合わせ式石棺を置いています。

 須恵器、土師器などの出土品がありますが、盗掘されているため、その他の出土遺物は判明していません。

 築造年代は出土遺物や様式からみて古墳時代の後期と考えられます。

1977(昭和52)年石棺蓋石うらに人名と思われる「大粒」と「部」を略したとみられるが線刻されているのが発見されました。

 県下においても類例のない貴重な古墳です。

 羨道--横穴式古墳の入口から玄室までの通路。

 玄室--横穴式古墳の内部の棺を納める室。   「広辞苑より」

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