銀砂湯 (注、青色文字はリンクしています。) |
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大正11年頃 |
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大正11年頃 |
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大正12年頃 |
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昭和4年頃 |
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昭和4年6月1日迄 |
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昭和4年6月1日 |
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昭和5年頃 |
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昭和7年頃 |
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昭和8年頃 |
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昭和9年頃 |
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昭和10年頃 |
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昭和10年頃 |
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昭和12年頃 |
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昭和16年頃 |
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昭和16年頃 |
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昭和34年6月8日 |
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私見、集中的に何年も上記に記載して、昭和5年の写真の 噴出風景になった。 推定では上記参考文献の昭和4年増掘湧出の記述は「-----(略)--。昭和3年10月から再び増掘に着手し、翌4年1月24日落成して温度65度、湧出量60石を得たのが現在の ものである。ーー(略)(参考文献、昭和7年版温泉叢書・科学文献篇 詳細はHPの参考文献)」。 この時点から上記昭和 5年頃のような噴出風景とな ったと思います。 もう一つの理由は、昭和4年6月1日の行幸記念絵葉書に白良浜があり、銀砂湯は噴出写真となると思います、いかがでしょう。 昭和4年6月1日には噴出していたが、写真が間に合わなかった。 ただし、行幸の時に献上品として瀬戸鉛山村名所一冊が献上されています。これを見ない限り断定はできませんが、結論としては間に合わなかったと思います。 この瀬戸鉛山村名所一冊は入手できないことが確定しましたが、和歌山県行幸記念絵葉書の白良浜の写真を御覧下さい。 上記、参考文献のように昭和16年迄に銀砂湯は噴出をしなくなったと考えております。 昭和16年4月25日発行、「白浜上水道小史」に銀砂湯の記述があり「現在は噴泉がない」と記載されています。 如何でしたでしょうか。 |
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