日本書紀第28・温泉不出

 日本書紀第28、天武(てんむ)天皇の条に

 「四年(中略)夏四月丙子朔、己卯紀伊国司言、牟婁温泉没而不出也」とある。

 没して而して出ずというのは地震か山崩れでもおって湯口が埋まり湧出が一時止まったことをいうのだろうが、簡単過ぎて要を得ないが、とにかく温泉の湧出が一時止まったことだろう。

 しかしこれは一時的のものにすぎず、程なく再び湧出したことは、この天武の14年(7月朱鳥と改む)は西暦686年であるが、それから5年後の持統天皇の4年(西暦690年)に持統天皇が行幸されているので明らかである。

 関連

 天武天皇12年10月14日諸国地震、国郡の官舎、農家の倉屋、寺塔神社等の破壊したもの多数で数えることもできない。ことに土佐は田圃の海に没するもの50余頃になったという。

 それより一年余りの後のこととすれば、その間余震あり温泉の湧出一時止まったことがあったのであろう。

参考文献 白浜温泉史、温泉叢書・歴史篇、白浜・湯崎の諸文献