日本書紀・持統天皇 |
日本書紀第30、高天原広野姫天皇の条に「四年(中略)乙酉、詔して曰く、朕(あ)れ将に紀伊(きのくに)に巡行(めぐりみそな)さむとする故に、今年の京師(みさと)の田租、口賦(ひとことのみつぎ)を収むること勿れ。丁亥、天皇紀伊に幸(みゆき)したまふ(中略)戊戍、天皇紀伊より至りおはします。」とある。 高天原広野姫天皇は第41代持統天皇のこと。同天皇の4年は西暦690年で昭和36年から1271前で、斉明天皇の行幸から42年後のこと、紀には単に紀伊に幸したまうとあるだけだが、牟婁の温湯へ幸したことは、この折供奉の人々の万葉集所収の和歌で明らかである。 注、紀とは日本書紀 参考文献 白浜温泉史 白浜町 昭和36年4月5日発行 |
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