兼葮堂奮蔵紀南巡遊絵巻の湯崎の図

  田辺から櫓船で江津良に、それから徒歩で鉛山(湯崎)に巡遊されたのでしょうか。

  この絵の左端には、下記のようなことが記載されています。

 湯崎 田邊江川より海上二里、陸路は五里ありといふ、街道にあらず南海へさし出たる洲崎なり、本名瀬戸庄鉛山村也、此所温泉あり、国史所謂牟婁温湯古歌に白良の走湯といふも此所也、湯槽六所あり、崎の湯、屋形の湯、元の湯、濱の湯、鉱の湯、足洗湯なり、白良濱は湯崎と瀬戸村の際なり、此所山も砂も極めて白し、...........略。