海賊退治の記録 |
* 鈴木家系に云う、(略)。 (781-805頃)第五十代桓武天皇の御守海賊襲来の事あり、天皇三家に勅して伐たしむ云云。(熊野の鈴木、海賊退治の事) * 第五十六代清和天皇 (862)貞観4年5月南海山陽の海賊追捕 * 第六十一代朱雀天皇 (933)承平3年12月南海道海賊起る (940)天慶3年2月海賊退治を西国13社に祈願し(略)。 * 第七十五代崇徳天皇 (1129)大治4年3月平忠盛山陽南海の海賊を捕ふ * (1339/10/05〜1369/03/11)第97代後村上天皇 其祖小山下野守藤原朝政より六代、下野守高朝の三男、新左衛門尉実 隆(長男判官秀朝 次男石見守経幸)、南海の海賊を伐つべき命蒙り、 一族郎党率ひて牟婁郡に来り潮崎荘に止まる。 * (1531)1月25日享禄4年に地域一帯をあらしていた海賊退治 |
|