温泉場破損 万延元年八月

乍恐奉願口上

 当村は温泉浴客の宿を渡世に一統露命を続けているが、去る寅年{注、安政元年(1854)十一月五日}の大地震で、大津波の天変があり、その温泉地並に往来道路筋等、殊の外の被害をうけ、その復旧普請も勘弁もつかず誠に当惑している始末で、安政三年(1856)八月、代官に対し、乍恐縮銀弐貫目無利足拾箇年年賦に拝借方、

鉛山村庄屋  長 兵 衛

    同肝煎 安 兵 衛

    同    徳右ヱ門

から嘆願書を提出、同年九月六日願いを聞き届けられ、九月晦日代官所に証文を差し入れて、銀を受取り、お影で、普請も出来、有難い仕合せに存じていましたが、どうした関係か、其後年々浪立ち繁くなり、湯崎温泉並に道筋等、毎々破損し至極く難渋していますが、このまゝに捨て置く訳にも参らず、その都度何とかやり繰りして応急修理してきましたが、去月十一日(万延三年九月)の大浪立で、「鉱の湯」「浜の湯」「元の湯」「崎の湯」の四ヵ所温泉、並に「浜の湯」から「崎の湯」に至るまでの海岸の道筋とも、寅年の天変の節よりも傷強く、葺瓦等不残散乱仕り、ことの外の大荒れになり、これがために一統はこれが復旧に種々勘考しましたが、当今はことの外の不景気続きと、その上年々再々の災害ではもはやそのやり繰りの方法もなく、此儘に荒し置くことは入湯客も無数になり、ために地下内一統暮らしも出来なくなり、極度に困窮し、誠に以って嘆かわしき次第でございます。

 時節柄をも不顧お願いに及ぶことは重々恐縮至極ですが、一村をお助け下さる思召で格別の御仁恵をもって、銀五百貫不利息拾ヵ年賦でお貸下げ賜り度くお願いに及ぶ次第であります。

 幸いお聞届け下されば、これが普請を早急に取運び莫大の御高恵いかばかり有難き仕合せに存じ奉ります。

 何卒、差詰め難渋している次第ですから、大慈悲の御了簡を以って御聞済み下さるよう幾重にも御願い申し上げます。

 


注、白浜湯崎温泉叢書 歴史文献編 雑賀貞次郎著 昭和8年10月20日

発行には「温泉場破損」として記載され、雑賀云。では下記の記載

以上の願いに対して同年九月六日銀一貫目無利息十年賦貸下を許され九月晦日御代官小川藤九郎、松本彦助、木津圭蔵三名宛の証文を差入れ銀を受取っている。


注、上記は、白浜の明治編 宮崎伊佐朗著 平成6年12月発行

  原文は、白浜湯崎温泉叢書 歴史文献編 雑賀貞次郎著 昭和8年10

       月20日発行を参照してください。白浜児童図書館にあります。