昭和21年 1946年 |
|||
月 | 日 |
見 出 し |
内 容 |
2 |
24 |
|
田辺文里港が復員港に指定されて、その第一船が台湾からの引揚者三千名を乗せて入港。 今後一ヶ年間は毎月三千二百五十名が復員して文里に上陸の予定。 |
3 | 4 | 天 然 痘 患 者 | 白浜町八五〇番地 長門信三 三五才 |
5 | 西牟婁地方教員組合結成 |
三月五日午前十時 田辺第一にて結成 郡内国民学校 青年学校 中等学校の教員にて結成 |
|
9 | 紀南病院開院 |
田辺市東木町 (元県立田辺高女跡) 院長 小山英次 事務長 俵 藤市 |
|
27 | 町 葬 執 行 | 白浜国民学校請堂において午後一時三十分より、左記勇士の町葬を執行する。 | |
31 | 町営浴場請負契約 |
町営浴場経営請負を左の通り行う。壱ヵ年。 浜の湯を金三千円で 高田和三郎氏。 まぶの湯を金二千八百円で 奥田米三郎氏。 崎の湯を四ヵ年金三千円で 鎌倉金蔵氏。 |
|
31 | 湯崎校長着任 | 湯崎国民学校長に金田喜蔵氏が着任される。 | |
4 | 10 | 衆議員第一回総選挙 |
金県区六名 山口喜久一郎、斉藤てい、世耕弘一、小野真次、早川 崇 池村平太郎 |
15 | 桜 の 宮 事 件 |
青年三名 桜の宮の祭に喧嘩して、一名横腹をつかれ重傷を負う。 |
|
16 | 白幸会青年弁論大会 |
夜、白浜校にて青年弁論大会開く。 終了後早川崇氏を囲んで座談会。 |
|
23 | 双 葉 山田辺中学に来る | 双葉山一行が巡業の為、田辺中学校庭にて二日間興業し、大いににぎわう。 | |
25 | 戦没者遺骨帰還 | 左記戦没者遺骨 田辺市海蔵寺において交付を受け、午後一時綱不知桟橋着の連絡船で帰還、一般町民出迎える。 | |
26 | 人 口 調 査 |
全国一斉に人口調査実施。同時に農家人口調査も行われる。 白浜町でも調査員二十二名を委嘱して実施。 |
|
5 | 1 | 観光協会再発足 | 観光協会再発足。観光事業に町観光課と相提携して取組むことを申し合せる。 |
1 | 五 月 の 豪 雨 |
富田川 二米の増水。県道崩土。郵便橋仮橋三分の一流失。 西牟婁の災害復旧費 三六万円 |
|
1 | 田辺市のメーデー | 三百名が田辺市大浜に集合、市内をデモ。 | |
6 | 水産物富田の割当 | 富田一五〇〇貫を五月分の出荷目標。 | |
7 | 戦没者遺骨帰還 | 故海軍軍属中長兵衛氏の遺骨、午後一時綱不知機構に到萄帰還される。 | |
10 | 米 の 値 段 |
米一俵 (六〇kg) が二百二十円となる。 一升五円五十銭となり、去年に比べて四円も値上がり。 |
|
13 | 海 草 供 出 | 白浜一万貫のアラメ、ヒジキを供出する。 | |
16 | 旅行者一人二キロ | 主食の移動数量が発表される。 | |
16 | 火 事 | 十六日午后二時半、白浜町一三三五 飲食店前芝正義氏方より出火一棟全焼。二時四十五分鎮火、損害五万円。 | |
22 |
福原産業の争議 |
堅田の福原産業で争議起る。 紀南の労組、社会党、共産党が応援に入る。 |
|
22 | 白 幸 会機関紙たきび発刊 | ||
25 |
県観光協会 白浜支部設立 |
会 長 町長 南常三郎 副会長 助役 浦 政吉・上田芳伴 |
|
25 | 桜 の 宮 事 件 | 罰金百円を命令。 | |
27 | 軍 人 援 護 会西牟婁支部解散式 | 午前十一時より、地方事務所にて解散式をする。 | |
28 | 戦没者遺骨帰還 | 左記戦没者遺骨田辺市海蔵寺で伝達を受け、午後一時綱不知桟橋に連絡船で帰還、町民多数出迎えする。 | |
25 | 田 辺 市 役 所職員組合結成さる | ||
31 | 町 葬 執 行 | 午後二時、白浜国民学校講堂に於て左記戦没者の町葬を執行する | |
6 | 1 | 白幸会素人芝居をする | |
1 | 小作地処理問題要項できる | 農地調整法 旧地主保有地五町歩に引上げ。 | |
7 | 五月中の自給製塩数 |
白浜温泉土地 温泉熱利用一二〇トン |
|
7 | 三段壁にて親子心中 | 生活苦から父子心中する。 | |
11 | 児童の意識調査 |
田辺市内の児童を調査する。 何が欲しいかの間に対し、 一、三合給食 ニ、教科書 三、学校給食、四、学用品、五、映画とある。 |
|
|
18 |
|
栄養対策。校医指導のもとに、失調児を選出し施薬す。 (参考文献 百年の回顧) |
19 | 日 本 軍 隊 の微章をつけるな | 米軍より通達あり、旧軍隊の徽章をつけるな。 | |
19 | 引 揚 者 団 体自 力 更 生 団 | 未利用資源で食糧づくりを。 会長は栄の深見恒二氏 | |
19 | 四人組強盗の一味白浜で検挙 | 旧軍療養所に潜伏中を検挙。 | |
19 | メチールアルコール甘い物に注意 | 薬物により生命に危険ありと警告。 田辺市内でも密売する。 | |
22 | 白浜健民修練所の沖縄人帰れず | ||
22 | 新円成金で白浜の旅館満員 |
大阪方面よ少新円成金で連日満員となる。 一食二合あての米、調味料、酒を持参する。 |
|
25 | 児童の思想調査 |
市内の児童調査する。 一、天皇は徳の高い人 七六% ニ、天皇制是認 九二% 三、現内閣不信任 七六% |
|
7 | 7 |
新麦供出割当 |
白浜にニ五石。宮田地区は、東四七一石、酉三七四石、南四八六石、北五一九石。 |
7 |
三段壁重抱合心中 |
抱合ってひもで結びあった心中死体あがる。 | |
10 | 白浜の文化団体 | 白幸会 羽山秀夫、白浜文化クラブ 宮崎伊佐朗 | |
10 | 新地十日間自粛休業 | 食糧事情がわるく、一五日より料亭、飲食店、一ヵ月に十日以上休業の事となる。 | |
13 | 水産用製塩組合堅田塩田竣工 | 七月一五日より始動。 和歌山県水産用製塩組合 | |
14 |
傷病兵甦生会 素人演劇会 |
六月三〇日に甦生会を結成。一四日白浜座で素人演劇会をする。元陸軍病院 | |
16 | 配給は一日千カロリー | 配給では野菜も魚もなく、一月三万カロリー、一日千カロリーである。 | |
19 | 西部地区労組協議会結成会 | 一九日午後一時より、西牟婁労組幹部が集って結成会をする。 | |
19 | 高松宮殿下お成り | 恩賜財団同胞援護会総裁の高松宮殿下には、太目田辺市田辺引揚援護局を御視察後、午後四時当町にお成りになり、国立大阪病院白浜分院、国立白浜療養所など御視察、引続いて平草原、三段壁などをご覧になり、宿舎の電気旅館に午後六時lニ十五分ご到着。翌二〇 日午前九時五分、白浜口駅発の列車で大阪天王寺駅を経てご帰京あそばされた。 | |
22 | ウ ン カ 発 生 | 東富田二三町歩にウンカ発生する。 | |
25 | 郵便料金値上げ | 手紙書状一〇銭が三〇銭に、ハガキ五銭が一五銭に値上げする。 | |
27 | 戦没者遺骨帰還 | 三戦没者遺骨、綱不知桟橋に連絡船で午後零時三〇分到着、帰還される。 | |
29 |
町 葬 執 行 |
左記戦没三柱の町葬を午後二時三〇分より本覚寺に於て執行する | |
8 | 1 | 奉安殿取壊し始める | 八月一日上り各校とも取壊しはじめる。 |
4 | 福原産業工場閉鎖 | 五月一九日以後争議中の福原産業は、四日工場閉鎖、全従業員解雇を通告しふんきゅうする。 | |
10 | 紀伊民報白浜支局開設 | 支局長に羽山秀夫氏就任する。 | |
10 |
「泉都白浜」を 新 作 発 表 |
白幸会では、平和盆踊りをつくり、新作発表する。 | |
15 | 白良湯建築竣工 |
町営浴場白良湯、高西組と工事契約して建集中、本日竣工。 工事費二万一千五百円。九月六日より経営を始める。 九月より七ヵ月間九千三百円で、久世喜之氏と契約。 |
|
17 |
英語の講習会 |
一七日から十日間、三人の学生によって英語講習会を開く。 会場 白浜健民修練所 午後七時〜一〇時迄 |
|
17 | 浦助役 白浜地区労会場でもめる | 白浜地区労協議会の「労働者とその家族慰安演劇会」で、会場のスローガンが過激と言ったことからもめ、退場をもとめられる。 | |
18 | ピ ー ス 発 売 | 日曜日毎に朝ピースを発売、半時間から一時間で売切れる。 | |
20 | 巡 航 船 増 発 | 一往復ふえる。 | |
22 | 移転してほしい町の焼場(斎場) | 道もわるく、遠く、ついて行けないので、移転をしてほしいと役場に申し出が多い。 | |
22 | 浦助役辞表提出 |
八月二ニ日 浦助役 町長に辞表提出 二六日 白浜座において町民に真相発表会を開く。 |
|
23 |
西牟婁郡青発足 |
連青を結成、役員を選出する。 副団長に田端富造氏選出される。 | |
28 | 野荒し防止に町内会通達 | 町内会で野荒し防止として、その処分をきびしく規制する通達を出した。 | |
31 | 白浜地区繊維労組待遇改善要求 | ||
31 | 白良湯に送泉うける | 白良湯が完成したので、白浜土地株式会社から一ヵ月七六〇円で送泉を受ける契約を締結。 | |
9 | 5 | 白浜青年団 | 白浜青年団でははじめて男女合併の青年団となる。 |
8 | 白良湯完成 | 白良浜に新しく完成する。今はまだ無料である。 | |
8 |
白浜館営業開始 |
栗本鉄工が白浜館を買いもどし営業を開始する。 | |
9 | 白浜校運動場の農園復旧 | 白浜小学校庭の農園が本日よりニ〇日までかかって、戦後における児童並に一般町民の体育振興のため元の運動場に復旧する。 | |
12 | 白 浜 心 中 | 権現崎の海上に死体あり。 | |
13 |
町内会役員の夫 野荒しした妻を離婚 |
町内会で畑を荒したものに厳しい罰則をすると通達を出していたが、つかまえた野荒しが町内会長の妻であった為、町内会長は妻を離婚した。 | |
14 | 戦没者遺骨帰還 |
左記戦没者遺骨 田辺市海蔵寺で伝達をうけ、午後一時連絡船で綱不知桟橋に帰還される。 |
|
16 | 町 葬 執 行 |
湯崎金徳寺において午前十時より一柱の町葬を執行。 瀬戸本覚寺に於て午後二時半より左記の町葬を執行する。 |
|
20 | 浦 助 役 辞 職 | 去る八月二二日辞表提出中の助役浦政吉氏本日辞職する。 | |
22 | 青 年 団 役 員 | 団長 富士原裕、副 金谷千代雄、左海よしえで新しく発足する。 | |
23 | 郡青結成大会 |
市公会堂で開催する。 |
|
26 | 第三次白浜町民大会 | 白浜座で挙行。議長 十河唯右ヱ門、書記 原田守量。町内反動分子追放の件について町民大会する。 | |
29 |
戦後白浜観光 |
営業中の旅館は、桃の井、米栄、酒井家、電気旅館等十四。 一月〜六月迄の宿泊客 三万五千六百人。 |
|
10 | 1 | 富田川治水問題 | 北富田地区の井堰をめぐって新たを紛糾起る。 |
7 | 戦没者の公葬廃止 | 県よりの通達により、戦没者の葬儀又は遺骨の出迎えは、軍国主義宣伝の機会として利用されるおそれがあるので、公の機関で行ってはならないとある。 | |
7 |
一等旅館一泊三〇円.パーマネソト二五円 |
県の統制価格指定する。 旅館(泊) 一級一等三〇円 二等二八円 二級一等ニ七円 二等二六円 三級一等二五円 四級一等二三円、五級一等二〇円、六級一等一五円 |
|
10 | 農地委員選挙 |
農地調整法改正により選挙実施。 当選者 地主三名。 真砂英太郎 川口長一 南 利一 自作二名。 和田七蔵 岩城惣八 小作四名。 小倉政市 三井 繁 田井儀三郎 中田良吉 |
|
10 | 岩城一治氏助役就任 | 欠員申の町助役に町役場配給部主任の岩城一治氏(三五才)が町議会で決定した。 | |
19 | 町選挙管理委員決定 |
芝田 勇蔵 (社会人) 中村喜三郎(町内会長) 斉藤武次郎(町会議員) 岩城一治(助 役) |
|
21 | 国民健康保険制度運営協議会 | 地方事務所会議室で開催。 | |
11 | 1 | 西富田青年団自 警 団 結 成 |
西富田青年団では自警団を結成、活躍する。 窃盗犯人小山活を逮捕する。 |
1 | 大阪病院白浜分院の温泉出ず |
鉄管細くなって温泉が出ず、傷病兵は近くの公衆浴場へ一回五〇銭を払って入浴する。 一日三円の国庫支出金から五〇銭はいたいとうったえる。 |
|
3 | 憲 法 公 布 | ||
3 | 白浜町道路上の畠は取除く | 十月末日迄に道路上の畠は取除くこととなっていたが、山上線には未だ畠が残っている。 | |
3 | 白浜の夜は真暗 |
白浜の夜は真暗である。明るい町にしたい。 白良浜の砂が道にとんで困っている。 |
|
6 | 南常三郎町長辞職 |
昭和一八年五月二九日今津勝太郎町長『肺エソ」のため辞職、 宮崎助役町長代理となり後任町長詮衝委員五名を選挙して詮衡したが決まらず、七月二二日の町会でも満場一致の人選ができず、選挙の結果南常三郎氏当選。 七月二九日県知事の認可を得て同氏町長に就任、今日に至り、任期を残して本日辞任された。 |
|
10 |
まぶの湯試掘成功温泉湧出 |
去る四月五日まぶの湯鉱泉試掘で薗田光雄氏と契約、試掘中本日深度四六〇尺で摂氏八〇度、一時間二百石の湧出を見た。 | |
14 | 富田川井堰問題解決 | 平の井堰は撤去する。来年の田植期までに電気の揚水機を設置する。費用は県と北富田でもつことで解決。 | |
20 | 白浜青年団大討論会 | 第一小学校講堂で、満員の聴衆を集め、白浜・湯崎の両青年団が討論会を開く。(見合いか恋愛か? 観光立町か産業立町か?) | |
25 |
白浜検番 白浜接客業倶楽部として発足 |
白浜検番は封建的を名なので、白浜接客業倶楽部と改命。 芸妓達労働組合をつくる。 |
|
12 | 1 | 白鳩コーラス発足 | 白浜・湯崎の進歩的な音楽同好の青年により、コーラス会を発足。 発起人 八木 操 |
8 | 戦没者合同葬 | 進駐軍司令官より戦役者遺骨の出迎え、公葬等禁止されたので、白浜町同胞援護会を結成。本日合同葬を執行する。 | |
15 |
富田川青年連盟 新発足 |
各単位団五名ずつ出し運営と決定。三所神社で委員会開催。 委員長 富士原 裕(白浜)、副委員長 左海よしえ(白浜) |
|
16 |
白浜タイムス発刊 |
社員ば全員青年で、各方面から期待される。 編 輯 羽山秀夫 富士原裕 営 業 片田良穂 正木芳春 磯部露子 |
|
19 | 町役場六課に編成 |
町役場は六課に編成し、町政事務の円滑化を計る。 総務課 経済課 財務課 民生課 戸籍課 観光課 |
|
19 | 湯崎青年団男女合併 |
湯崎青年団では、男女がはじめて合併して青年団をつくる。 団長 湯川平右ェ門 副団長 今津唯男 島沢ツヤ |
|
19 | 正 月 の 配 給 | 正月の特配に、酒五合、塩二〇〇gあり、砂糖はなし。 | |
21 | 南 海 大 地 震 | ||
21 |
まぶの湯温泉 湧出止まる |
去る十一月十日ポーリングで湧出した八十度、一時間二百石も出ていた温泉が止まってしまう。 | |
罹 災 者 収 容 | 羽衣地区、網不知地区、羅災者百余名を白浜国民学校講堂に、二十一日午後より四日間収容給食。 | ||
21 |
被災者に炊出し |
被災者に対し、二日間炊出しと共に食糧の特配を行う。 米一人一食一合、乾パン一袋、生パン六〇匁。 食糧特配一人一日三五〇グラム(年令を問わず) 家屋流出 五日分、 床上浸水 三日分、 床下浸永 一日分 |
|
21 | 白浜国民学校の羅災 | 白浜国民学校では、初二児童加藤良次郎君が水にのまれて不帰の客となり、羅災職員三人、児童二四〇名に及ぶ。 | |
白浜枚児童の奉仕活動 |
水道断水により飲料水困難を来たしたので、初五年以上の児童、職員が二十七日まで、青年団員らと共に羅災者への給水奉仕を続けた。 水道が昭和九年六月通水開始されてから、御用済であった瀬戸の芝井戸や清水井戸が飲料水用などに重宝された。 救援物資や復旧資材など総て田辺から船便で搬入された。 |
||
23 |
罹災者 証明書発行 |
町では床上浸水以上の羅災者に証明書を発行して、応急救援物資などの配給に資する。 | |
26 |
電灯ようやくつく |
電灯は、寸断された送電線の復旧作業が進み、二十六日夜から点灯されて、五晩を配給のローソクで過した町民に明るさを取りもどさせた。 | |
30 | 水道やっと通水始まる | 水道会社では、田辺市から船で飲料水を運んだり、大阪市からタンク車や給水袋を借入れ、霊泉橋のところまで送水して、そこから給水袋で各戸へ配るなど応急策をとる一方、取り敢えず霊泉橋のあった海中に松材を打ちこみ、その上に水道管を渡し、両端を接続する仮工事を昼夜兼行で行い、ようやく新年の急場をしのぐことになった。 | |
30 |
遭難者遺体の 収容終わる |
当時収容された遺体は十九体であったが、四遺体は田辺から漂流して来た人達の遺体であることが判り引きとられ、一人は遂に氏名すら判明しない無縁者であり、残り十四人の遺体はことごとく綱不知地区在住の方々であった。 |
|
津波による死亡者調書 昭和二十一年十二月三十日現在 | |||
津波による負傷者調書 昭和二十一年十二月三十日現在 | |||
震災・津波被害調書 | |||
一、家屋被害 | |||
ニ、人畜被害 死者14名 重傷者5名 軽傷者31名 | |||
三、被害総額75,000,000円 | |||
上家屋被害調書に依る家屋被害25,000,000円 | |||
白浜町公共施設被害調書 昭和21年12月30日 | |||
戸数・人口状況 | |||
31 | 復員・未復員者調査 | 本日現在の当町復員軍人・未復員軍人・軍属者数 | |
31 | 町内の警備 | 震災直後から、青年団・警防団では昼夜の別なく町内を巡回して警備にあたり、正月も十日まで続行すると申合わせる。 | |
|