紀州採薬志

 小野蘭山(74歳)は、享和2(1802)年3月15日、幕府採薬係御用として和歌山を出て、(略)

 22日田辺に来て、

 23日栗栖川(中辺路町)

 24日田辺に帰る

 25日雨のため滞留

 26日田辺江川から船で湯崎(崎の浜(臨海)、白良浜、綱不知、千畳敷にて採集)

 27日千畳敷から富田村

 28日富田村から富田坂を経て、仏坂から周参見

 以下略

 小野蘭山一行

  蘭山と弟子2人、荷物係り3人の合計6人、外に6人

  (万代記には一行13人と記載)

  紀州藩から2人付添、この付添は行く先々の大庄屋、庄屋に申付け旅

  館その他の世話をした。

 小野蘭山

  京都の人、本草学の権威として全国に知られる。

  寛政11(1799)年(71歳)に徳川幕府の医官

  文化7(1810)年没(82歳)、徳川期の屈指の学者