{注}
(4)、鉛山の地名は「紀伊続風土記」に「村名鉛を堀りたるに起る」とある。
大正年間にも鉛山鉱山が開かれ亜鉛鉱を産出している。
鉛山村は瀬戸村領に鉛堀人が住みついて一村をなしたもので、田畑高も瀬戸村の中に含まれると風土記にある。