白浜口駅開業。

 昭和8(1933)年12月20日駅名決定までに紆余屈曲ありしも、待望久しい白浜口駅開業。

 学校児童の旗行列などあり。新庄、朝来、西富田、南富田の5ケ村合併の連合祝賀会を熊野三所神社において盛大に挙行して終日賑う。

 富田駅開業記念写真  開通当時の機関車500形式 とC1117機関車

 昭和8(1933)年12月28日快速〔黒潮」走る   開通記念絵葉書   西富田村

 大阪鉄道局と阪和電鉄のパンフレット  開通関連ニース記事 

 漸く二十一日朝復舊

 昭和8(1933)年12月20日白濱口駅開業、直前の駅舎で工事中。

 昭和8年頃の写真と言われています。

Jpeg

  省線白濱口駅開業(昭和八年十二月二十日 紀南の温泉臨時号)

 白濱、湯崎温泉の玄関、紀勢西線の白濱口駅は、今二十日からいよいよ開通、京、阪神方面と、南紀の泉都との間が、完全に省線でつながれた。待望の実現として地方の喜びは大きいが、都市から温泉への来遊客には便利となつたことだけだし非常である。

 けふから開通したのは従来の終点てあつた紀伊田邊駅につヾく紀伊新庄駅、紀伊朝来駅、白濱口駅、紀伊富田駅の四駅で二十日午前六時〇三分の白濱口駅発から列車は運転をはじめている。

 列車発着の時間表は別項のとほりであるが、この開通により白濱、湯崎への温泉客は、今まで紀伊田辺駅から船車で連絡したのが、けふからは白濱口駅からバスで連絡すればよいことになり、この連絡は三キロ、バス十五分間となつたのである。(原文のまま)

 注、省線紀勢西線は大正八年起点和歌山市から起工したが遅々とした進まず白濱・湯崎としては大阪との鉄道連絡に前後実に十五ヶ年を要したのである。

 白濱の開発は実にこの省線の敷設を機として行われたもので、白濱口駅の開通するまでは、御坊、印南、南部から田邊までバス、田邊から汽艇で連絡して温泉客を迎えるに努め、紀伊田邊駅が終点の間は文里ー白濱間の汽艇で連絡したのである。

(白濱湯崎の諸文献)