白良浜温泉地の開発の内、白良浜土地建物株式会社の設立直近の前後を抜粋 参照文献 昭和33年8月印刷 明光バス30年史 湯川宗城 |
白良浜温泉の開発に手を着けたのは大正8年で、早やもう40年にもなる。 中略 鉱谷口鷹鳥別荘北の岡本氏所有台地には盛んにガスがわき、硫化が黄色くにじんでいたし、衡幹坂地先岩盤には数ケ所ガスがふいていたし、白良浜海底にも、白浜土地現事務所南の川の底からもガスがふいていた。温泉が湯崎に限らず吹き出ることはわかっていた。そこでここに新温泉場をつくってはという話は瀬戸の芝田与七等の間にあったのであり、その事業化にのり出したのが小竹翁である。そこで大正8年5月11日、資本金50万円の白良浜土地建物株式会社できたわけで、当時の発起人は58名である。 発起人の氏名など省略、役員などの氏名も省略 中略 当時すぐに着手したのは 1、白良浜の雪白硅砂を硝子原料として、村が極東硝子に売っていたのを、賠償金を出して、採集を禁止するよう取運ぶ。 2、白良浜一帯の松林を保安林に編入して貰い、村有地を部有地と共に景勝保全のため有償で借用する。 3、土地約8万坪を経営地として買入れる。うち山林田畑約18町5反歩の買付予定がプロスペクタスに出ているが、坪当り2円10銭とある。 これら買付交渉には南常三郎、田芝儀三郎氏等があたった。 4、白良浜海岸温泉ガス噴出ケ所18ケ所(当時の見積では一昼夜5百石)の買収等である。 後文略 |
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