大正7(1918)年頃、大正7、8年年と公表されています。山の上に湯煙が立っています。萬屋の内湯でしょう。海岸沿いに写真向って左が柳屋、昭和初期に建替る 湯崎館があり、その横に蔵が白く見え、道に温泉が横切って海に流れ、海は白く湯気が立っています。潮が引くと露天風呂だったそうです。

 最近(2005-04-10)になって、同じ写真(かなり傷がある)のカットされていないのが入手することが出来できたので、この写真の存在を忘れて、入手写真の年代判定をしたが同じような年代頃であった。

 年代について

 大正4年9月11日、電灯村内につく

 大正7年頃の湯崎館が見える。

 昭和3年1月10日、山神社山上に遷宮  (注、この位置から山神社の鳥居が見える。)

 大正7年頃から大正10年頃までの湯崎温泉と思われる。

 疝気湯と湯崎館の間に波よけの石垣や、有田屋の三階の大きな建物、浜の湯と土佐屋の間に川口屋旅館の三階が見えません。

 年代を判定していたら一部カットされた写真があることに気がついたので、同じ年代頃として掲載します。

 写真について

 かなり大きな傷が写真に入っていますが、この写真が原版だと思っています。


 私、ここで、大正時代の湯崎の年代を判定する資料として記載します。

 写真向かって左に三階のような白く見える建物が川口屋旅館、有田屋、浜の湯が判別することが出来ます。又、写真に向かってやなぎ屋旅館、旅館湯崎館、疝気湯、淡路屋があります。

 この判別できる各旅館のうち川口屋と湯崎館が写真写りもありますが新築まもないように思います。