追分け地蔵                       Photo/2005-10-11

 平草原の山頂から大浦方面に観光道路を約百メートル下った左手側の山道を更に
約三十メートルほど下ると、右手に山桃の大木が生い茂り、その根元に「追分け地蔵」がひっそりとたたずんでいる。右手に錫杖、左手に宝珠を持つお顔は剥落しその優しいまなざしをしのぶことはできないが、光背の正面右側には「右ハせと道、施主」、左側には「左ハゆさき道、善改」と彫られているのが拓本によってようやく確認できる状況である。

 地蔵の位置する所からは現在道が二手に分かれ、右側の急な坂道を下ると妙見堂に至るが、追分け地蔵に記されているもう一方の山道を下って行くと庚申堂の前を通り山神社を経て湯崎の温泉場に通じる旧道である。往時は人里離れた寂しい山道を通行するとき、路頭に迷うことなくこの地蔵に行き着くことのできた安堵感に多くの通行人は手厚く地蔵に合掌したことであろう。

 付記 施主の善改は鉛山村金徳寺住持であることが、寛政四(1792)年の「寺社調書上帳」(「田所家文書」)及び金徳寺過去帳によって確認される。