太刀ヶ谷地蔵

 立ケ谷の入江奥の中心部に建立された地蔵堂の中には、二体の地蔵尊が祭られている。

 一体は総高37cmの合掌した厳しいお顔をした立姿で、かなり風化している。この地蔵は元、天狗谷に通ずる旧道の入口付近に露座していたのを当地蔵堂に安置したものといわれ、紀年銘等は確認できない。

 もう一体の地蔵は、昭和三十六(1961)年八月二十日に地区の人々の篤志によって刻まれたもので、右手に錫杖、左手には宝珠を持っている。

 また地蔵堂の中には、砂岩で作られた卵塔も安置され、蓮華座台上の高さ七五センチメートルの正面には、奉納、大乗妙典日本廻国、右側に文政九(1826)成歳、行者、左側に九月吉祥日、誠心とそれぞれ刻まれている。

 この行者について次のような話が残されている。「昔、お遍路さんがやって来て、この辺りを回っていたとき、病気にかかり村の人たちが一生懸命看病したが、病気がよくならず亡くなってしまった。当時、立ケ谷には葬る土地もなかったので、村の人たちがこのお遍路さんを藤島に運び手厚く埋葬した帰りに、たくさんの鮪(しび)が湾内に大群をなして入って来たので、綱不知の人たちと協同で網を入れ大漁したという。村の人たちはこれもお遍路さんのおかげで大魚できたと喜び、その霊を慰めるためにお堂を建て祭られた」と言い伝えられている。

 現在の地蔵尊は、昭和53(1960)年7月20日に再建されたものである。