清水地蔵                        Photo/2005-10-19

 瀬戸に限らず白浜の半島部は、上水道が設けられるまでは、飲料水に恵まれず数少ない井戸水を求めて住民の生活が支えられてきた。この清水地蔵″は、瀬戸一丁日の清水井戸の脇に祭られ別名水地蔵≠ニも親しく呼ばれ、井戸水をくみに来た人々は、水の恵みに感謝する気持ちを地蔵に託し、水をくみに来る度に地蔵にやさしく水をかけ、その恩恵に報いてきたのである。そのためであろうか・風化が進み露座している事情もあって、お顔は確めがたく右手に持つ錫杖だけが、当初の形を残している。

 明治十八(1885)年ころには、下地組五一軒が清水の井戸に頼りすがっていたとのことで、水を守ってこられた地蔵尊への信仰もあつく、清水の地に生まれ育った人々により、清水会という講が組織され、毎年八月二十三日の地蔵祭には盛大に供養され御詠歌もつくられている。

   ありがたや、清水のまちを守護された

     地蔵菩薩をたたえまつらん