野長瀬一族の墓

 大塔宮護良親王が熊野落ちして十津川に入り、玉置庄司の軍に攻撃されて危難に陥った時、近露の野長瀬八郎・七郎の兄弟が部下を率いてかけつけ、親王の急を救ったことが「太平記」に見える。その後も野長瀬氏は代々南朝に忠勤を励み、秀吉軍の南征の時も敵対した。ここには、五十四基の五輪塔と六基の宝筐印塔が並んでいて和歌山県文化財に指定されている。その多くは埋没していたのを、戦後の開墾で掘り出されたのである。   Photo/2005-04-04

  野長瀬一族の墓より近露を望む  Photo/2005-04-04