白浜の名

 本居宣長の「玉かつま」九の巻「紀の国の名どころどもの条に「白良浜は、湯崎鉛山と瀬戸とのあいだに在て、里人は白浜と云へり。此浜の真砂、遠く見れば、雪のごとし」とありこれは大人が和歌山へものされたをり、岩橋甚右衛門秀栄の著したもののなかから妙出されたものである。そのころ、村の人々は白良の浜を白浜と云ったことは、これでうかがわれる。

 今の白浜温泉は、大正八年に開拓をはじめたころは、白良浜にちなみ、白良浜温泉と称することにしていたが、それでは長すぎるというので、すでに昔に白浜ととなえられていたことは中ごろ忘れられて気付くものもなく、云わば大英断で「良」の字をぬき、白良浜を白浜としたのであった。ために当時の文人などの間にはとやかくの意見も出たらしいが、それを押し切って、ついに白浜の名で天下の温泉地となった。

 しかし百年も前に、里人がすでに白浜と呼んでいてそれを宣長大人が書いていたと知ったら、ほほ笑まれる話ではないか。「玉かつま」のやうな学校の教科書にも使われ、普遍的な書物に出ているのを、当時気付かなかったというのも変だが、この昔と今の偶然の一致こそは、地名でも何でも、言いやすく覚えやすいのが例になること、今も昔のごとく、昔も今のごとくなるを証するものといったよい。

     関連 「白浜の名の起り」をご覧下さい。


参考文献 南紀雑考 雑賀貞次郎 昭和11年6月1日発行

注、旧かなを一部現代文に修正、旧漢字も当用漢字に修正した。