2、誘致資本と泉源の占有 ではこのような観光資本による観光地開発が、どのような過程を経てその成果を収めていったか、またその過程の中で、どのような問題が起こってきたかについて見てみよう。 湯崎に対抗して瀬戸にも新温泉場を作りたいという瀬戸の有志の希望に応じて、第1次大戦後の大正8年5月開発に乗り出したのは御坊の素封家の小竹岩楠であった。小竹氏は湯浅の浜口氏(千葉県銚子のヤマサ醤油の創立者)と関係をもち、すでに明治36年日高電灯株式会社(後の日高川水力電気株式会社)を創立、大正5年に旭セメント株式会社を経営していたもので、観光開発にも眼を向けたのは当時日の出自動車株式会社の経営にも当たっていたからである。{注}(6)、湯川宗城著「明光バス30年史」 (33年) 資本金50万円をもって直ちに「白良浜土地建物株式会社」が設立され、瀬戸白良浜の土地約8万坪をまず買収した。この土地を保養地として整地分譲するという土地の商品化がこの会社の当初の目的であったことは社名にも表われている。 しかし湯崎に近い白良浜では温泉がなければ土地の買手がつかないため、会社は同時に温泉の試堀を始め、大正10年これに成功、続いて白良浜に内湯旅館と共同浴場をつくり、また土地売却の条件として温泉を配給することにした。 当時はまだ交通が不便で会社の経営も振るわなかったので、交通機関と提携して市場の拡大を計る必要があり、このため日の出自動車の発展した紀勢自動車株式会社と合併し、大正12年「白浜温泉自動車株式会社」となった。白浜温泉の名が使われ始めたのはこの時からである。 その後昭和5年、再び自動車営業を明光バス株式会社に分離してからは、社名は「白浜温泉土地株式会社」となり、専ら温泉配給だけを業務とすることになった。 白良浜土地建物株式会社の創立から4ヵ月おくれて大正8年9月湯崎に「湯崎文里土地株式会社」が設立された。これは田辺文里港の土地会社の進出によるもので、やはり当初は土地営業を主体としていたが、次第に温泉採掘を始め、温泉配給を主とするようになり、社名も「湯崎温泉土地株式会社」と改めた。 湯崎七湯の自然湧泉はすべて共同浴場で、旅館にも内湯はなかったものであるが、白良浜に内湯旅館ができると、これに刺激されて湯崎の旅館も競ってボーリングを行い内湯を設けるようになり、これに湯崎温泉土地会社の採掘も加わって、昭和8年から湯崎の自然湧泉は次第に湧出量が減り、遂に閉止してしまった。これは営利的な温泉採掘が古くからの村民の共同浴場での入湯権を侵害したことになる。 しかしこれに対する村民からの抗議はこの時起こらなかった。勿論新泉源相互の間にも泉温低下などの影響が現れ、この面からむしろ問題が大きく取上げられた。しかしこれもボーリングを許可制にするという県令によって解消した。 温泉権に対する村民の主張がこの時起こらなかったのは、1つには有力な瀬戸の人々が動かなかったからである。瀬戸ではその領内に新温泉ができ共同浴場が作られたことで満足し、もう湯崎の共同浴場まで入湯に行く必要がなくなっていたから、自然湧泉の閉止によって湯崎の人々が苦境に陥ったことには、以前から対立感情もあって全く無関心であった。 また湯崎でもこれを問題にするまでもなく閉止した自然湧泉の共同浴場へは、会社の新泉源から送湯されることで納得してしまった。 温泉をめぐっての部落の対立感は、この地域の開発を進める契機となったものではあるが、同時にそれは村民の温泉に対する権利を営利業者の手に無償で引き渡す契機となった。 こうして温泉土地会社はその後この地域の泉源をほとんど占有する温泉配給会社となった。前2社に続いて瀬戸の東部に昭和6、7年頃に設立された2社も設立当初は土地経営を行ったが、やはり温泉を採掘して同様な温泉配給会社となった。 白浜町における温泉土地会社 |
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会社名 |
設立年 |
資本金 (万円) |
現有泉源 |
湧出量ℓ/分 |
試堀泉源 |
白浜温泉土地 | 1919 | 1,720 | 8 | 2,432 | 29 |
湯崎温泉土地 | 1919 | 1,000 | 4 | 1,400 | 12 |
東白浜温泉土地 | 1931 | 25 | 2 | 1,500 | 7 |
紀伊白浜温泉土地 | 1932 | 200 | 4 | 700 | 11 |
白浜温泉土地クラブ | 1932-48 | (1,000) | (5) | 10 | |
白石土地 | 1934 | 1 | 100 | 4 | |
白浜温泉には現在23の泉源があるが、1部に旅館と個人所有があるほかすべて温泉土地会社の所有となり、町有もただ1本にすぎないのはこのような経過によるものであり、旅館その他7つの共同浴場もすべて4社のいずれかからの送湯によっている。 地元民で泉源を所有するものは全く見られないが、これは土地会社が最初に広く土地を囲い込んだことや、高額で危険の伴う温泉採掘費が調達できないことなどよるものである。 白浜の温泉観光地としての発展は、これを開発してきた温泉土地会社の資本を基礎とするものであるが、同時にその開発過程の中で、地元民が古くから共同利用してきた自然湧泉を閉止し、この地が観光地として成立する基本条件である温泉が、地域社会と切離され、これら開発資本の占有となり、地元民は観光地の中で疎外された存在となった。 白浜町の現湧出温泉源の所有状況 (昭和38年) |
所有者 | 泉源数 |
湧出量ℓ/分 |
用 途 |
温泉土地会社 | 19 | 5,882 | 配給営業 |
白浜町 | 1 | 540 | 共同浴場 |
旅館 | 1 | 144 | 自家営業 |
その他(郵政省) | 1 | 500 | 自家用(寮) |
計 |
22 |
7,066 |